チンギスハンのブログ

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【日韓関係】わかりあえるというのは日本の思い込みではないか?(1)塞外民族での序列は遊牧民が上位。

こんにちは

2019年7月23日(火)記

再びこの場をお借りします。記事は訂正加筆の上歴史ブログに移動する予定です。

さて昨日は「日本は東、中央アジアでは特別に恵まれた国」

その理由は

1 温暖で降雨が多く稲の栽培が灌漑無しでできたこと。

2 大陸との間にかなり広い海があるので他民族の侵略を受けることが、他の部族に比べて極端に少なかったこと。

という内容でした。

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今回は日韓関係で左翼系の人がよく言う「話し合えばきっとわかり会えるはず」は日本人の一方的な思い込みで幻想ではないのか。というテーマです。

私は学者でもないし未熟なので不十分なところはお許しください。またご指摘ください。また韓国を攻撃したり、おとしめる意図は全くありません。

1 中国民族は塞外民族を蛮夷として見下していた。

これは数々の書物に残されているので説明の必要もないでしょう。

高度な文明を早く築いた彼らは周りの部族には必ず「卑しい」「おとしめる」名前を付けました。日本は「倭」でした。ワという発音に当てはまる感じの中から最も悪い意味の漢字をわざわざ選んでつけたのです。当時の日本人は漢字の意味がわかりませんでしたから。

♡悪意をもって付けられた漢字をいつまでも注釈無しで学校の教科書に載せている日本の神経もまた意味不明。早く改定すべきだ。

中国民族が塞外民族を見下した理由は次のような例がある。

(1)けもののような暮らしをしている。肉や血まで食べる。→栄養上必要。

(2)若い働き盛りがまず美味しいものを食べて老人は余り物を食べている。

♣他の部族からの攻撃に備えなければならない塞外民族は兵士を養うのが最優先で戦力にならない老人が後回しになるのは生存上最適な選択。儒教により老人優先の中国では老人を養う生産力の余裕があった。

(3)王の妃は後継者が生母を除いて自分の妃に受け継ぐ。

♣集団でないと暮らせない遊牧民で立場の弱い女性を保護する意図が大きい。中国では倫理に反するとされた。

→塞外遊牧民のルールや習慣は環境に適したものだったが中国民族は嫌って理解しなかった。

 

2 塞外民族では遊牧民が最上位

主に羊を放し飼いして、草地とともに人が移動する遊牧スタイルは完結しており現在でもそのスタイルは続いています。

草原での理想形です。

遊牧民族は農耕民族を見下しました。双方が見下し合っていた関係です。

中国文明の頃の図です。

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ヒッタイトが発明した鉄は長く製造法が秘密でしたがやがて他部族にも伝わり青銅武器を圧倒します。

北方ではトルコ系>モンゴル系>ツングース系の順に文明とテクノロジーが高いです。

♣ツングース系部族は言語系統から独自に分類するが広義のモンゴル系と言える。

トルコ系、モンゴル系、ツングース系は遺伝子的には相当に近いと思われる。今後の研究に期待。

この序列は共通認識であったようでチンギスハンの時代でもトルコ系は優遇されている。被征服というより合併に近かったのもあるだろう。

シルクロードはトルコ系の地域を通る・・・トルコ系の優位

下はシルクロードの地図

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ちょっとわかりにくいですが陸のメインルートはトルコ系の居住区を通っています。モンゴル系は通商路からはかなり外れています。

物資の獲得では相当不利だったでしょう。

同じ遊牧民でも貧富の差は大きかったのです。

さらにルックスでも差があったようです。

 

個人の力を重視しますので大きくて力が強い人が尊敬されます。

トルコ系は背がモンゴル人よりも高かったようです。

さらに青い目の人が多く見た目も華やかです。

女性では肌が白く青い目で髪の毛が黒ではなくエキゾチックだったので唐の時代では都長安で、「胡姫」として大人気だったと記されています。楽器も得意だったようです。

 

また周りをいろんな部族に囲まれているために複数言語を話せる人が多かったのも特徴です。

唐の楊貴妃の時代に玄宗皇帝に使えた安禄山はトルコ系ですが6各国語が話せた国際人でした。

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モンゴル高原の東の境は大興安嶺山脈の麓

モンゴルに詳しい宮脇淳子さんの本にありました。

降水量は西からモンゴル高原が年100mm満州平野が年500ミリ、平壌が年965ミリ、ソウルが年1300ミリ日本が年1700ミリです。東京は1467ミリ。

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モンゴル高原は遊牧一択です。満州平原は降水量が多く木が生えるために遊牧ができず、昔ながらの狩猟・採集が生活形態でした。

パオでの暮らしもできず穴を掘って暮らしていました。

モンゴル族が元を作ってからもパオでの暮らしを続けたのに対して、満州族は金も後金(清)も早々と中国スタイルになりました。

それほど元の暮らしが原始的で不便だったからでしょう。

♣女真族の金で自分たちのルーツを調べて記録させた皇帝がいました。初めの報告が余りにも実態と違って装飾されていたため怒り「本当のことを包み隠さず記録せよ」と厳命。仕方なく詳細に報告したところ余りに未開で原始的な様子に皇帝は怒り担当者を残らず処刑しました。やはり生き残るためには役人には忖度は必要なようです。

満州平原では穀物も大麦や高粱などでコメは取れませんでした。

麦焦がし(はったい粉若い人は知らないと思う)が常食だったそうですから食生活も遊牧民より貧弱だったのです。

満州族もモンゴル族の優位性は認めていた

満州族の国の清の(読みは金と同じ)2代皇帝ホンタイジの正妃は5人すべてがモンゴル人です。貴族の多くもモンゴル人の正妃を持ったのです。

大臣にも多く登用して、モンゴルとの連立政権の趣があります。

過去のいきさつから劣等感があったのでしょう。

高句麗は戦力的には朝鮮南部より優位だった。

満州族の国である高句麗の版図は時代により違いますが北魏の時代は(5~6世紀)

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朝鮮南部以外を領有する強大な国家です。現在の国境で言えば平壌は北朝鮮にありますが朝鮮半島だけの国家ではありません。

百済や新羅がかろうじて国を保っている状態です。

この後高句麗は隋の侵攻を食い止め、唐にも勝利しましたが余りにも負担が大きく、唐・新羅の連合軍によって滅びました。そして新羅が朝鮮を統一。新羅の英雄金春秋の時代です。

♡唐に服属して高句麗を滅ぼし今度は唐に反抗して独立を勝ち取るのは針の穴を通すような難しい戦略だ。金春秋以外にはできなかっただろう。

しかし朝鮮南部が高句麗に対して軍事的に優位だったのはほぼこのときだけです。しかも唐の力が大きいです。

◆朝鮮南部は高句麗の軍事的圧迫を受けてきた。しかし半島なのでどこにも逃げることができない。

◆軍事的に優位な高句麗が朝鮮南部を見下したことと想像できる。

ここまでの結論

1 塞外民族の序列ではトルコ系>モンゴル族>満州族だった。

2 遊牧民は自分たちの生活様式に誇りを持って農耕民を見下していた。

3 遊牧民は生まれた時から馬に乗り、仕事と軍事が直結していたので軍事的に優位にあった。

4 狩猟民である満州族は軍事的に強かったがモンゴル族との比較やその原因はまだ調べていない。

5 満州から朝鮮北部を領有した高句麗は満州族の国で朝鮮南部に対して軍事的に優位であった。

例によって長くなったので今回はこれで切ります。

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